*** 喫茶メグルワ/春の少女 ***


 おいしい珈琲と静かな時間を提供いたします、喫茶メグルワ。
寂れた商店街の一角、店と店の狭間に埋もれた小さな入り口からお入りいただけます。
店内にはカウンター席が5つばかり。
年老いた私が賄うには丁度良い広さです。
こうして喫茶店を構えておりますと、実に色々なお客様との出逢いがあります。


 とある秋の日の事。
私の定位置―カウンターの内側から夕立ちに打たれる町並みを眺めていましたところ、
突如ドアのベルが軽やかに鳴り響きました。
雨の香と共に入店してきたのは紺色のセーラーに身を包んだ少女。
興味深げに昭和めいた室内の調度品を眺めています。
おかっぱの黒髪宿る雨の雫が夕日を吸って光りました。

「ここ、喫茶店ですよね? コーラあります? あ、無い?
 そうですか、じゃあ、えーっと」

 彼女は私が差し出したタオルで雫を拭いながら次々と話しかけてきます。

「珈琲……、はい、牛乳が入ってたら飲めます」

 まどろんでいた店の空気が少女の活発な声でしゃんと覚醒します。
無邪気な笑顔が向日葵を思わせる、明るく素敵なお客様でした。


 カフェオレは彼女のお気に召したようです。
カウンター席にセーラー服の彩りの添えられる日がぽつぽつと続きました。
お喋りの好きなお方で、他愛なくも楽しげな日常を幾つも話してくださります。
少女の来店が片手の数を越えた頃、
私は彼女の話に決まって同じ少女が現れることに気付きました。

「マスターは好きな人いる? 昔は居たでしょ?
 好きって、いつから"好き"になるの? 友達の"好き"とは何が違うの?
 どこが境目?」

 カウンターに頬杖をついた少女の視線は遥か彼方。
俯いた頬に黒髪がさらりと流れます。

「好きってどういう気持ちなのかな。どんな色してるの?」

 中指に嵌めた硝子の指輪を回し回し、少女が呟きます。

 「みんな冗談だって笑うけど、私は本気なんだけどな」

 指輪の台座に据えられた小さな硝子の花がキラり煌めきます。
返事を求めない呟きは壁時計の音と交わり、
喫茶店の空気へふつふつ溶けていきました。


 時は流れ、12月初頭。
街路樹は葉を全て落とし、すっかり冬支度を整えています。

「春までにね、」

 窓の外で舞う粉雪を眺めながらセーラーの少女が言います。

「次の春までに、わたし決心するんだ。
 そうしたら今度は二人でメグルワに来るね。
 友達としてか、そうじゃない相手になってるかもしれない人と」

 いつも嵌めていた指輪を外し、彼女が私の瞳を覗き込んできます。

「それまで、これ預かってくれる? 私の気持ち、どこかに消えちゃわないように」

 私の手に小さな指輪が置かれます。
それを棚に飾られたオルゴールの引き出しへ仕舞いますと、
彼女は「ありがと」と言って大輪の笑顔を咲かせました。


 やがて凍てつく冬が過ぎ、春が訪れました。
しかし例の少女はメグルワを訪れません。
私がオルゴールの引き出しを開けますと、
硝子の指輪が独り寂しげに鈍い光りを滲ませているのが見えました。
「春までにね、」
耳元で少女の声がシャボン玉のようにたゆたいます。
私はそっと引き出しを閉めました。


 桜が散り、若葉を纏い、終に春が去ってしまった皐月の中頃。
新しいお客様がメグルワを訪れました。
背中ほどまである黒髪を二つに結わえた少女は楚々とした顔立ちで、
紺のセーラー服を纏っています。
慣れない様子でカウンター席へ腰かけるとメニューを見ずに
カフェオレをご注文されました。

 私がオルゴールの引き出しを開けてみますと、
硝子の指輪がいかにも外に出たそうな素振りを見せましたので、
カフェオレの受け皿に座らせてさしあげました。
小さく畏まっている少女の前に注文の品を運びます。
カップに指をかけ、一口つけた所で彼女は指輪の存在に気付きました。

 細い指先が指輪を取り上げます。
まじまじとそれを見つめていた少女の瞳の淵に雫が浮かぶのに気付いた私は、
棚からピカピカのカップを取り出して磨き始めました。
向日葵の少女が居た時とは真逆の空気が喫茶店を満たします。
壁時計の音色と共に静かな時間が行き過ぎていきました。


「御馳走様でした」

 カフェオレを飲み終えて少女が立ち上がります。
桜の花のように白く華奢な脚で、
けれどしっかりとした足取りで晴れの日射しの下へ出ていかれました。
扉の閉まる間際、指に嵌められた硝子の花がチカリと輝くのが見えました。
私は空になったオルゴールの引き出しをそっと閉めました。


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